寝る前の一話

夜眠る前に読むと心がほっこりするような短編を書くつもりです。

2話 自分のことをチンと呼ぶ猫

「自分のことをチンと呼ぶ猫」


 ゆっくりとドアが音を立てて開いた。隙間から2つの青い瞳がこちらを覗いている。なんだかおかしい、と私は思った。なぜなら、目の位置が異様に低いからだ。私の膝くらいしかない。そしてなにより、その縦長に筋の入った瞳は猫のものであったからだ。「チンになんのようだ?」それは喋った。私は思わず叫んで逃げ出そうかと思ったが、ずぶ濡れの体をどうにかしたいという気持ちがギリギリで勝った。通常の人間であれば目ん玉が飛び出てうっかりそれを置き去りにして逃げ出すような事態だろうが、そもそも私は滅多なことでは驚かない質なのだ。


「あ、突然すみません。見ての通りこんなお天気ですのに私ったら傘もささずにここまで来てしまったんです。」


 猫は目を細めて少しだけ顔を傾けた。私のことをかなり怪しんでいるようだ。そりゃそうだ。雨の日にこんな街のはずれまで傘もささずにやってくるなんて正気の沙汰ではない。突然のスコールならまだしも、この雨は今朝からずっと振り続けている。「それで、その、できれば雨宿りさせてもらえないかなーと思いまして。」なるべくしおらしく交渉してみる。猫はまだ目を細めてこちらをじっと見つめている。それから10秒ほど気まずい沈黙が流れたあと、猫は首を振った。「なんでチンがお前のような人間に親切にしなければならないのだ。」そう言って猫はドアを閉めようとした。私はヤバいと思い必死でなにか猫に刺さる言葉がないか思考を巡らせ、無我夢中でさけんだ。


「違うんです!マッスル飯田くんが、彼が悪いんです!私は彼を好きだったのに彼は私を見ていなくてそれどころか違う女と乳繰り合っててそれでわれを忘れて飛び出したら気づいたらここにいたんです!あなたはこんないたいけで健気で傷心中の女の子を見捨てるっていうんですか?」自分が何を言っているのかもはや理解不能だったが、もっと不可解だったのは自分の言動よりも行動のほうだった。私は気づけばドアをむりやりこじ開け猫を抱きかかえていた。そしてつい自分の飼い猫であるペレットにいつもするように喉元をなでた。「お願いです!雨宿りと、そしてあなたに少しでも良心があるならミルクたっぷりのココアを一杯!」ここまで言って私はようやく我に返った。「は、すすすみません!」慌てて猫を見ると、彼はまるで天に昇るような幸せそうな表情をしていた。そして息を切らしながら私にこう言った。

 

「もっとぉ!」